先週、先々週と桐生の「
めん処酒処ふる川 暮六つ 」に行って「ひもかわ」を食べてきたので、最近テレビ塔でも話題になっている「ひもかわ」について書いてみようと思ったのですが、いろいろ調べているうちに桐生のうどんの歴史が面白かったので、まずはそちらの記事を書いてみます。

桐生のうどんの歴史は古く、今から1300年ほど前に桐生に絹織物が伝えられたのと同時期にうどんも広まったとされています。桐生にうどんを広めたのは、以前このブログで桐生の織物の歴史を書いたときにも出てきた「白滝姫」でした。
京都の宮中から桐生へ移り住んだ白滝姫は、その豊富な知識と技術を桐生の人々に伝えましたが、その一つが養蚕と機織りの絹織物であり、食生活の面では桐生の里で取れた小麦を使い、野菜と一緒に煮込んだ「切り麺」を村人たちに伝えました
そういった歴史から、桐生では古くからうどんが食文化として根付いていて、桐生の風習で、うどんが冠婚葬祭には必ず添えられる料理の一品になるほどでした。
仏事ではお清めとして用い、四十九日の法要にはうどんやで作った干しうどんを町内に配る習慣もありました。婚礼では食感を「つるつる→鶴々」「噛め噛め→亀々」と、「鶴は千年亀は万年」になぞらえ、またうどんの色や形から「純白で細く長く」となぞらえ、婚礼料理として用いられていました
今日では婚礼では見ることが少なくなりましたが、仏事では法要のときに持ち帰りパックに入ったうどんを配る風習として残っています。
そのような歴史から、桐生には人口規模の割にうどん屋の数が多く、少しソースは古いですが2000年の四国新聞の
「群馬の桐生うどん会が県内の店を視察」という記事で、「桐生市は人口約十二万人で百三十軒のうどん店、製麺所があり、人口当たりの店舗数では高松市を上回るほど」と紹介されるほどで、うどんで有名な讃岐を肩を並べるくらいうどんが郷土料理として地元の人に浸透していると言えるでしょう
また、少し話はそれますが、東京の巣鴨でカレーうどんの店をスタートし、今では繁盛点となって有名になった「
古奈屋」ですが、古奈屋の創業者であり現社長の戸川貞一氏は群馬県桐生市出身で、戸川氏自身が幼少のときに桐生のうどんに親しんでいたのがきっかけの一つとなり、古奈屋を開業したそうです
この話は、ダチョウ倶楽部の寺門ジモンさんの著書「えっ、これを食わずに生きてたの? 」の45ページにも書いてありました
このように、桐生のうどんは絹織物と同時期に桐生に伝わり、1300年を経たいまでも織物同様、桐生の地場に深く根付いた食文化となっています
話が長くなってきたので、ひもかわの話は次回書いてみます
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